先日はじめて渋谷の神山町にある本屋に行ってきました。出版と書籍小売り機能が一体化した本屋さんで「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(シブヤパブリッシング&ブックセラーズ=SPBS)」というところです。小売店舗の向こうがガラス張りで、出版の編集事務所のようなんですね。仕事しているのか、仕事しているふりをしているのか(あ、それは拙者か)、いろいろな人たちが立ち働いておりました。で、この店舗では1940年代、50年代、60、70、…と書棚が時系列分けられ、その時代に関係する本がそこに並んでいます。「いや、これは70年代じゃないぞ」というモノもありますが、まぁいいや。むかしむかしの漫画雑誌「ガロ」に掲載されていた安部慎一の漫画(単行本)を二冊買ってしまいました。「くらい」ところが良い(20代の前半はこんな感じだったなぁ〜という)漫画です。
コメントでnetさんが覚えていてくれた初版の表紙です。
首、飛んでますね。(笑)
(技法:エッチング、ドライポイント)

海沿いの村の雨が降る陰気な日。気づくと中庭に年老いた羽のある男がうごめいている。言葉は通じない。隣の女は「年老いた天使だ」と言う。それから神父がきたり村人が珍しがって見にきたり・・・。そのうち「天使(?)」はあらゆる可能性を探られ、結局何者なのかは結論が出ず、そのうち厄介者扱いになる。さいごに「天使」はきわめて体調が悪くなるが、それを乗り越える。ある日、飛ぶ練習をしていた年老いた「天使」(と思われる年老いた羽のある男)は、ついに飛び立っていってしまう。それを昼食用のタマネギを刻みながら見送る者がいる。わけのわからないものの闖入に、自分達の思いつきで接し、飽きてしまうと厄介者扱い、その村の蟹の多さ、村全体の臭いなどのディテールがじつに綿密に描かれている。「散文詩」ともいえる。
上記は、昨日読んだG・ガルシア=マルケスの短編「大きな翼のある、ひどく年取った男」(鼓直・訳)についてのメモです。知り合いにすすめられて「この世でいちばん美しい水死人」を読んだきり、放ってあった本を出してきたさらに読んだのでした。休みなので少しは本なども読むのです。
昨日は、昼から松下育男さん廿楽(つづら)順治さんと3人でビールを飲みました。育った場所が作品(創作)に影響することもあるのかなぁ、というはなし、横須賀美術館には週刊新潮の表紙を描いていた谷内六郎館(別館)があるというはなし・・・などたんたんともりあがりました。駿河台下、三省堂本店の地下にある「放心亭」でソーセージの盛り合わせ、キャベツの鉄板焼き(牛肉の、ではない)、スモークサーモンのサンドウィッチを摘まみに取りました。写真は、松下育男さんのブログにあります。
→http://blogs.yahoo.co.jp/fampine/42766464.html
帰ってきて、廿楽順治さん詩集『たかくおよぐや』(思潮社・2007.10)を深く再読しました。
洲之内徹の本が出ると、なぜだか買ってしまします。『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』(求龍堂2008.6)をぱらぱら繰って見ていますと、いい絵が見つかります。あまり知られてはいませんが(わたしも知らない画家が多いのですが)、小茂田公雄の「正安寺狸」、宮忠子「蒼い空」、寺田政明「かりんとにんにく」(俳優の寺田農の父ですね)、青山美野子「町工場」、森田英二「カフェテラス」など、盗んでも欲しいと思いました。巻末に「没頭と放心」という原田光氏(洲之内徹のご子息)のエッセイが載っています。その原田氏の勤務している横須賀美術館では「ファイニンガー」展を開催中、見に行きたいのですが、なんか交通の便がいいのか悪いのか・・・躊躇しています。(まだ一度も行ってないのでどんなアプローチか知らないのですが、炎天下バスを待ちたくない、炎天下歩きたくない、大雨の中歩きたくない・・・などと考えて)
『百句燦燦:現代俳諧頌』塚本邦雄(講談社文芸文庫、2008.6)
現代俳句一句かかげられて、その後に塚本邦雄の絢爛たる文章(単に解説とは言いがたい)が続きます。なかなか読みにくく、ゆっくり読まなければなりません。わからないところもありますが、そんなに長い文章ではないので(一句について2ページほど)最後まで行き着けます。ふだんは見ない漢字も出てきますが、むやみに「難解」というのではありません。
この本は説明しがたいけれど「おもしろい」と思っている自分を意識します。たとえば金子兜太の「鶴の本讀むヒマラヤ杉にシャツを干し」という句のあと、第一行目に「腕力で詩を創るのは叡智で田を作るよりもむづかしい」と書き始めます。ここでぐっと魅かれます。
この本の解説は橋本治。人は「わかりやすい説明」を求め「わかりたがる」が、説明→納得それでおしまい、では「表現」はどうなってしまうのか、という意味のことが書かれています。橋本治の解説も面白い。確かに表現、創作にはわからないエネルギーが隠されているほうが魅力的だと思います。そのわからなさを読む側の想像力で引き出すような読書の醍醐味を味わうべきか、と。
『イカ干しは日向の匂い』武田花:文・写真(角川春樹事務所、2008.5、¥1,500-)
武田花の写真は昔なつかしい風景やうら寂しい街角、なにか忘れていた雰囲気などが写されていて大変に良い。写真と一緒に載せられたエッセイには、「品行方正な笑い」からはちょっとずれたおかしさがあって、決して押し付けがましくはないけれど、そこに批評が息づいています。常々、父泰淳、母百合子から受け継いだ視線と、ユーモアの文体(武田流)があるように感じています。猫や動物が見え隠れする写真と独特の撮りっぷり書きっぷりに魅了されます。
『嬉しい街かど』文芸春秋・1997.7、『季節のしっぽ』角川春樹事務所・1998.5、『仏壇におはぎ』角川春樹事務所・2004.6、どれもとても良いですよ◎
来月、12,13,14日に東京国際フォーラム:ホールB7で、「2008年国際稀覯本フェア」が開催されます。職業柄、こうしたイベントのカタログはきちんと手元に届きます。いろいろな興味深い貴重書や古書資料がカタログに載っていて、思文閣と大屋書房から妖怪の絵巻物が出ています。思文閣の「百怪図巻」はカラー頁に図版があって「ぬけくび」(ろくろくびとも言いますね)は女性で、美貌です。首はしろいミミズみたいですが。この絵巻は百二十万円です。買えないなー。ご参考→http://www.abaj.gr.jp/
昨晩は、ホテル メトロポリタン エドモントンで行われた、「間村俊一句集『鶴の鬱』刊行を祝う会」に出席しました。かなり盛況で、現代詩の授賞式よりたくさんの人が集まっていました。間村さんは装幀家で俳人です。間村さんの装幀する本に私の銅版画を使っていただいたことが数回あります。そんな関係です。句集『鶴の鬱』について歌人の岡井隆さん、俳人の小澤實さんからお話がありました。小澤さんの話によると今回の句集のタイトルは、最初「うらおもて」次に「ボヴァリー夫人の庭」、そして両方が消えて「鶴の鬱」になったのだそうです。おみやげに句集を貰ってきて読んだら大変に面白く、夜中まで起きていることになりました。昨日はいったん眠ってから起きてきた時刻まで起きていました。俳句も面白かったのですが、本の作りも素敵でした。さすがに装幀家なので、この句集には「著者自装」と書かれていました。う〜ん、カッコイイですね。一頁一句で、旧漢字旧かなです、それが実によく似合っています。
間村俊一句集『鶴の鬱』(角川書店、2007.12)ヨリ
くずきりや鸚鵡の話して帰る
菖蒲湯やきのふお山に彰義隊
饅頭の薄皮に差す冬日かな
ほととぎす乱歩全集檻のごとし
人妻にうしろまへある夕立かな
崑崙の霞配送先不明
天井に瀧見しことや鶴の鬱
前川佐美雄の歌集『捜神』を読んでいたら、亀の歌がいくらか出てきました。
苑の池その石垣に甲羅乾す捨てられし如き冬の亀の子
子どもの頃亀を捨てに行ったことを思い出しました。当時杉並区の西荻窪に住んでいました。正確には宿町という地名で(現在は桃井何丁目かな)青梅街道沿いの今は区民センターになっている所にあったアパートに住んでいました。そのとき部屋で亀を飼っていたのですが、なんとなく生臭かったそうで(私は覚えていないのですが)また、引越をするので、近くの井の頭公園の亀池へ父に連れられて亀の子を捨てに行ったのです。「ともだちも沢山いるから」ということで私は納得したようでした。亀のおとなしさが好きです。