玄工房:岩佐なをのブログ
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むし

夏はゴキブリの季節ですね。きのう出ました。子供のころは「あぶらむし」と呼んでいました。チャバネゴキブリは、「小さいあぶらむし」。よくうどんとかとると入ってるやつ、一品多くて…、困っちゃう。昨晩のは「大きいあぶらむし」、ヒゲもスーッと長くて、すばやくて、こげ茶色のフェラーリみたいでした。足元にいるところを発見したので、すぐさま足で踏んづけようとしたのですが、瞬時(あ、うまく潰すと靴下に汁がつくかも〜と)逡巡したためにサッと逃げられました。逃すと夜中眠っている時が不安ですね。蚊とちがって刺したりはしないけれど、耳たぶをあま噛みされたくないし。私流「捕り物法」としては、家の各所においてあるホウ酸団子(ゴキブリ用)キャップを集め発見箇所周辺に点在させます、そうすると食べてくれるのか、1,2日後にはよろよろ明るい場所に出てくるか、どこか意外なところで死んでいるのです。で、今朝、洗濯機まえによろよろと出ました。「げんきないなー、悪いものでも食ったのか?」「ホウ酸…だ、だん、団子でちゅ」新聞を丸め総理の顔のところでパンパーンと叩き、合掌。

居眠り

夕飯を食べた後がものすごく眠い。むかしむかし、母が夕食後居眠りしていて、青年だった小生は「はよー、後片付けせんかい」と思ったものでしたが、その「食後居眠り病」を受け継いでしまいました。食後居眠遺伝子おそるべし。夕飯ののち椅子に座って本を見ていて、もう文字や写真を眼が追えない。ちょっと油断をして目を瞑ると、そのまま「あの世いき」みたいな感じですね。今晩は、ちくま文庫『百物語怪談会:文豪怪談傑作選・特別篇』東雅夫編2007.7を読んでいて眠りました。つまらないとか、おもしろいとかではないのです。内容に関わらず眠ってしまうのですな。で、川べりの突き出た岩に腰をかけ釣りをしていたら、竿を落としそうになり、掴み損ねて前に出ようとしたら、岩から川へ落ちそうになり「あーっ」と思ったら、夢でした。つかのまの夢ですね。「瞬夢」と名づけたいと思います。居眠りの真っ只中だと「あーっ」と明瞭な発音が出来ずに「ふへえええ」なんてへんな声を出して、その声に驚いて目覚めるわけです。ああ、しんど。前出の文庫本は面白いですよ。明治時代の文人墨客が、それぞれに自分の知っている(あるいは、聞き及んだ)怪談を語っています。どれも短い話で時間かからずに読める怪談アンソロジー。日本画家で挿絵も描いた鰭崎英朋が「車夫が幽霊を乗せた話」を披露しています、現代もタクシーが幽霊をひろう話がありますね。このちくま文庫の怪談集は、明治42年に出た『怪談会』という本を軸にして編まれています。参加している方々は、泉鏡花、岡田三郎助、小山内薫、長谷川時雨、鏑木清方、水野葉舟、尾上梅幸…などなど。

競艇臭

昨日は、桐生競艇場でSGレース「オーシャンカップ競走」が行われていて、その準優勝戦でした。桐生在住の友人が「来ても良い」というので遊びに行きました。まず桐生について、大川美術館に行きました。桐生の人は木口木版画家で歌人の小方正法さん、一緒に東京から行ったのは武蔵野美術大学図書館員の沢田雄一君。大川美術館は、松本竣介や野田英夫、難波田龍起、史男親子などの佳作が揃っていて興味深いところです。今回は、企画展で浜田知明の銅版画作品を多数展示していて、それらを見るのも愉しみにしていたのです。入口でわれわれ三人は、係りの女性にどうおもわれたのか、やはり「競艇系のひとたち」と見破られたのか、「美術館ははじめてですか」と訊かれました!(笑)「ちがわい!はじめてなんかじゃないやい!!」とは言いませんでしたが、苦笑しました。そんなに競艇くさいかなぁ?

雑記

あ〜、夜もふけたなぁと思いつつビールを飲んでボーーとしているうちに、日曜日になってしまいました。いま本屋さんに出ている「芸術新潮」8月号はローマ特集でなかなか興味深いです。行ったことないだけにそそられます。わたしは宗教絵画がいまひとつ興味が持てない(いいな、と思うものもありますが)のですが、建築物にはめ込まれた彫刻や一見拙いふうに見えるレリーフなどには惹かれます。今号にも、そうしたモノが工夫されたアングルでとらえた写真で掲載されていて、つくづく「いいなぁ」とながめました。詩人で小説家の(もう小説家になって詩の世界からは離れていってしまうのかな)小池昌代さんがアンリ・ミショーについて書いていて、これも楽しめました。「胎児と青虫」というタイトルは正鵠を射ています。ミショーは生まれてくるものと死んでしまったものの面影を描いていたように思います。あ、それから8月号には、前にブログに書いた三遊亭圓朝の「真景累ケ淵」をもとに作った映画「怪談」の記事も載っています。ご覧ください。新潮社の提灯をもってしまったかな?昨日は、桐生まで行って、運が悪いことが11回続き、大散財し、くたびれ、過激な修行を終えた後のようにふらふらになって帰ってきたのでした。大げさですが。ただ競艇の日帰り旅打ちに行って「大敗した」だけなのでございます。オソマツ!

赤とうがらし、青とうがらし

23日に刷って、並べて乾燥させている写真を載せた銅版画作品「赤とうがらし、青とうがらし」です。紙はアルシュのホワイト並口、インクはシャルボネルのブルーオリオンに文房堂の黒を半々で混ぜて使っています。赤いとうがらしと青いとうがらしが、串にささっているような、とうがらしたちには眼もあって、笑っているような、笑っているところを見ると串が刺さって(痛がって)いるのではなく、杖に乗っているのかな?下には満月も出てるらしい。「宵待草」は「今宵は月も出ぬそうな」ですね。関係ないけど、ふと思い出した。
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60×90mm エッチング、ドライポイント 手彩色(透明水彩)

蒸し暑い絵

今日は、夕方になって随分蒸し暑くなってきました。帰ってきてから描いた「本日の蒸し暑さ」 125×180mm ゲルインクカラーボールペン、色鉛筆、墨汁、Gペン
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およそ見当はついていたのですが、やはりこちらに来るには負の力を相当な生(正)の活力量に変化させる術が必要で、死んでも強い意志も要りようで。それだけかけ離れているということでしょうか。距離?状況?世界?単位であらわせますか。逆にそっちに行くときは大変ですか、それは秘密だったりして。会ったとき、随分ぼろぼろだったね。それは見苦しく汚らしいぼろぼろではなく、激しい戦いの中を潜り抜けてきた後の綻びのようで、すがすがしくも感じました。ジーンズもオレンジのポロシャツも擦り切れたり、穴が開いたり、焦げていたり。そうまでしてこちらに来てくれたことに感謝して、西瓜を食べてもらおうと庖丁を入れたら、中はまっかな色でした。迎え火というのはこちら側の儀式のための儀式で、目印にならないとは知らなかった。今度はいつ来ますか。部屋に来ますか、瞬間的にすれちがいますか、夢に来ますか。幽霊ぶらないこころづかい、ありがとう。じゃ、また。

太陽がいっぱい

昨晩は、NHK衛星第2でルネ・クレマン監督の映画『太陽がいっぱい』をやっていたので見るともなく見てしまいました。最初に見たのはもう30年以上前だったように記憶しています。老後に名画を一日一本ずつ見るのもいいな、と思いました。あまり洋画は見ていないのでちょうど良い楽しみになるかもしれません。若い頃は女優さん目当てで映画をみることが多いのですが、わたしは外国人女優にあまり興味がもてず、洋画をそれほどは見ていなかったのです。ATGなどは見ていたのですが。さて、『太陽がいっぱい』は、アラン・ドロンが若いですねー、1960年の映画なのであたりまえですが。話はざっとこうです。貧しい青年トム(アラン・ドロン)が、富豪の友人フィリップ(モーリス・ロネ)をヨットで二人きりになった折に殺害し、遺体を包んで海に捨て、その後、彼になりすまして財産を奪おうとします、身分証偽造やサインの練習、トムの計画は完全に見えたのですが、最後にヨットを陸に引き上げるとスクリューに絡まった行方不明のフィリップの遺体が見つかってしまう、どんでん返しのミステリです。(新作なら結末を書くべきではないでしょうけれど、すでに名画として結末も皆知っていると思うので書きました)原作はP・ハイスミス。ニーノ・ロータの映画音楽もよく知られていますね。1975年に吉行淳之介が映画評論家の淀川長治と対談していて、そこで淀川さんが「この映画はホモセクシュアル映画の第一号」(トム⇔フィリップ)と言っているんです。(吉行淳之介『恐怖対談』(新潮文庫)1980.12)この対談で淀川さんはそれをいろいろ検証してゆくのですが割愛。昨晩は、そこを意識して見ていましたが、あまり良くはわからなかった。そのあたりを淀川さんの意見を参考にして、あるいは独自の見解で、説明してくれる人はいませんか?

銅版画の乾燥

版画を刷る仕事場は学生下宿の北向きの四畳半です。最初は三畳間にいたのですが、二十年ほど前にこの部屋に引っ越してきました。おどろくほど広くなったなぁ、と思ったものです。写真は、銅版画の刷り上った新作を並べて乾かしているところ。なんだか図柄は良くわからないですね、小さくて。しかし、実際手にとって見ても良くわからないのですよ(笑)。題名は「赤とうがらし、青とうがらし」です。
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Dusty Springfield

メールに「音楽は聴かないのか」という質問が2つ入っていましたが、聴きます。銅版画創作時は、版を刻むときも、刷りの作業でもずっとBGMをかけています。1970年に高校生になりましたので、その前後のロックは今でも好きです。(ちょっとうるせーなー、こちとら年寄りなんだぜ〜)と思うこともありますが。先日、ダスティ・スプリングフィールドのベストセレクション(ベストセレクションを聴くって、ちょい恥ずかしいですが)を聴いていました。大ヒット曲「この胸のときめきを」やジャック・ブレルのシャンソン「行かないで」も良いのですが、アズナヴール作詞作曲の「帰り来ぬ青春」が秀逸。「Yesterday when I was young…」という歌いだしを聴くと、銅版画制作の手が止まります。『赤頭巾ちゃん気をつけて』で芥川賞を受賞した庄司薫の小説四部作は1970年代にはベストセラーになりました。この連作最後の作品『ぼくの大好きな青髭』をもし映画化したら(もう、だれもしないだろうけど)、ラストシーンで小林が「おい、素晴らしい夜明けだぞ」といった所で「Yesterday when I was young…」とスプリングフィールドが歌いだし、カメラは新宿御苑を俯瞰でとらえて引いていくのが良いのでは、と極めて感傷的に妄想しています。(古すぎて、何をいってるのかわからないですか。すみませんねぇ)

上野で

今日はちょっとくすんだ用事があって上野に行きました。済ませた後に、西洋美術館の「パルマ:イタリア美術、もう一つの都」展によりました。キリスト教の絵画と、肖像画がほとんどでした。肖像画にはタイツのお兄さんや、おじさまがいました。「うわー、おもしろいなぁ」と思った絵はことごとく絵葉書になっていなくて、がっかり。不忍池では蓮の葉が茂り、赤い蓮華が咲いていますよ。極楽みたい、行ったことないけど。浴衣姿のモデルのおねえさんに凄く高価そうなカメラをもったおじさんたちが集まって撮影会。移動の乗り物の中で堀内幸枝さんに送ってもらった詩の雑誌「葡萄」54号を読んでいました。松永伍一さんが「川崎洋追慕」というエッセイを書いていて、読み応え充分。二人の詩人と美術評論の水尾比呂志さんは学生時代の親友で、若いころの三人のはなしは、松永さんから直接いろいろ聞かせていただいたことがあります。このエッセイでも、亡くなっても続くながいながい友情をふくよかに感じました。十八歳のころ、松永さんと川崎さんの二人は合作で「サタンの恋」という濃密なエロ小説を十行ずつ交代で書いたそうです。その原稿は門外不出で今も松永さんが保存とのこと、ちょっと読みたいですね。案外微笑ましいものだったりして。

覚書(070721)

覚書(070721)iwasa



爬虫類は
どうも無口で
何を考えているのかわからない
考えていないのかもしれない
時々考えるかもしれない
しかし
口をきいても
けっして「言い訳はしない」
爬虫類なら言い訳は無用
ある種の蜥蜴が尾っぽを切って逃げ
ひきょうもの!にげるな。
と罵声を浴びせかけられたとき
薄笑いこそしても
言い訳はしない
カメレオンとてビュッシッと
舌を伸ばして
よしんば蝿に逃げられても
しそんじても
むっとはするが
言い訳はしない
鰐もしかり、蛇もしかり
首長竜も言い訳だけはしないまま
この世から消えた
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45×90mm 技法:エッチング、ドライポイント

一碧楼

詩人で、俳句に関わってる方々は多いですね、辻征夫、高橋睦郎、高橋順子、清水哲男、清水昶、松下育男、井川博年、柴田千晶…。俳句は読みますが、作りません。松下育男さんも同じだったと記憶しています。のちのちずっと作らないかというと、どうでしょう。こっそり作って溜めているということもありません。これから作ってこっそり溜めないかというと、わかりません。なんとなく作りたい気はするのですが。先だって、中塚一碧楼(1887-1946)の句集『はかぐら』(第一作社1913.6)を手にとって見る機会がありました。河東碧梧桐に「自覚せぬ天才」といわれた俳人の有名な句「春の宵やわびしきものに人體図」が2頁に、「死期明らかなり山茶花の咲き誇る」が73頁に、載っていました。1頁1句の贅沢。頁ごとの朱の囲み線とノンブルが印象的でした。明治末から大正初めにかけて、一碧楼は自由律俳句の先駆的な試みもしていて、その頃の句がどうしても気になります。「うすもの着てそなたの他人らしいこと」「霙れる。その頸筋へメスを刺させい」「冬菜青い、せめてせめて火事でもあれ」などを読むと句を作りたくなるのですが、ならば俳句より一行詩を拵えたほうがいいのかとも考えます。『はかぐら』の巻頭に「この本は/私のためには/懐かしく、また痛ましい/墓ぐらです」と書かれていました。

ぐずついた天気が続くと、腰があやしくなります、「警戒信号」のような。過去2回ほどぎっくり腰をやっているので、梅雨時と秋の長雨のころはすこし鈍痛がありあます。要注意、あまり急に動かすと、ギクッときますね。やっちゃうと朝晩顔なんか一生涯洗えないんじゃないかと思うほど痛いもので、へたな格好でクシャミもできません。舎弟は朝の洗顔中、クシャミをして、ぎっくり腰になりました。

作家の猫、作家の犬

河出書房新社にコロナ・ブックスという叢書があって、そこに『作家の猫』(2006.6)と『作家の犬』(2007.6)という本があります。写真満載、コラムも秀逸で、両方買いました。猫も犬も好きですが、子どもの頃に一緒に暮らしたことのあるのは犬です。おシャレ系の種類より、日本犬やミケのほうが好きです。犬はミックスに味わい深い風貌のヤツがいますね。『作家の猫』には、夏目漱石、南方熊楠、谷崎潤一郎、藤田嗣治、大佛次郎、稲垣足穂、幸田文、池波正太郎、田村隆一、三島由紀夫、開高健、中島らも等の愛猫をが紹介されています。『作家の犬』には、志賀直哉、菊池寛、林芙美子、井上靖、いわさきちひろ、久世光彦、米原万里等の犬が登場。檀一雄の家にいた犬の大きいこと!必見です。檀ふみのエッセイに「たしかに我が家には、絶え間なく犬がいた。みんな父が、どこやらからもらい受けたり買ったりして、やってきた犬である。しかし、肝心の父が、「絶え間なく」家にいた、とはいいがたい。」という一節があって、思わず笑ってしまいました。『火宅の人』はあまり家にいてはいけません。作家と犬、あるいは猫たちとの貴重なアルバムともいえる2冊です。

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新チャンピオン

今朝は失礼なことを書きました。内藤選手ごめんなさい。勝てるとは思わなかったのですが。うーん、やってみないとわからない!。堂々と真っ向勝負でチャンピオン・ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)選手に僅差の判定ながら内藤大助宮田ジム)が打ち勝ち、新チャンピオンに輝きました。(於:後楽園ホール)内藤選手はこのチャンピオンに最初挑戦したときには、1RKO負け、2回目は負傷判定負け、今回は3度目の正直だったわけです。これで、日本の協会が加盟しているWBA,WBC両方の世界フライ級チャンピオンが日本人になりました。亀田興毅は今まであんなにも日本人とはやりたがらなかったのにどうするのでしょうね。実は本人はやりたかったのかもしれませんが、TBSが亀田を優良商品と考えたために、やらせない方針をたてただけなのかもしれません。今日の内藤は、サウスポーのチャンピオンに対して、いきなりの右(ストレート気味)が効果的でした。あと攻めるとき守るときをきちんとわきまえて戦っていたことが勝因です。9Rは大ピンチでしたが、よく凌ぎました。激しい打ち合いの試合では、後半どうしてもボーっとする時間ができてしまいます、その時を見極めて攻め切れなかったチャンピオンは悔いが残ったでしょう。あと、内藤選手はよく目の上をカットするのですが、今日は後半まで切れずに(つまり、血が眼にはいるハンデを背負わずに)戦えたこと、さらに、先に眼の上を切って出血したのがチャンピオンだったことも勝敗を分けた一因といえます。とにかく、内藤選手よかったですね。おめでとう。

連夜

昨晩、今晩、ロッキージムのトレーナーと後楽園ホールでプロボクシング観戦。きのうは3階級差のある東洋太平洋チャンピオン同士が戦いました。こういう興行は珍しいことです。結果は軽いほうのクレージー・タイガー・キム選手(ヨネクラジム)が判定で勝ちました。選手入場曲は、以前はキム選手用特製のラップだったのですが、昨晩は「読経」でした。ほんとうの読経。チーンという鉦の音も入っていました(笑)。今日は世界フライ級タイトルマッチです。挑戦者内藤大助(宮田ジム)は同じチャンピオンに3回目の挑戦となりますが、またまた負けちゃうかな〜。

児島善三郎

児島善三郎の油彩はもっと無骨なものと誤解していました。府中市美術館で「児島善三郎:田園の輝き」展が開かれていましたが、あまり期待していなかったのです。実際見て驚きました、実に良いのです。児島は、昭和初期にフランス留学こそしましたが、かなり独学で絵画の道を進んでいった画家です。人物、静物も描きました、しかし風景が圧倒的に素敵です。特にフランスから帰国して、昭和10年くらいの風景画には自然の生命力が豊かに表現され「きもちのいい絵」なのです。児島の風景画はみていると、日常の緊張感がほぐれ和やかな心持になれます。絵を見てゆったりした気分になれるということは、画家に相当な力量があることだと思いました。写真は、美術館前の花、「キスゲ」でしょうか、色が赤っぽいけど。ユリ科ではあるような。
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アンリの館

東京国立近代美術館にアンリ・カルティエ=ブレッソン展とアンリ・ミショー展を見に行きました。カルティエ=ブレッソンは生涯にいろいろな国を訪ねて沢山の情景を撮った写真家。「決定的瞬間」を切り取った写真家とも言われています。台風が来ているというのに多くの人が熱心に見入っていました。アンリ・ミショーは詩人で画家です。絵は具象のような抽象のような、めちゃくちゃの書のような、人の顔のような、姿のような、染色体の写真のような、なんかはっきりした形態でないところが凄く面白いのです。好き嫌いはありますけどね。わたしは大好きなんです。まぁ見てみてくださいまし。近美のHPにアクセスすれば何点かみられます。平凡社から『アンリ・ミショー:ひとのかたち』2007.7という画集が出ていて、これが今回の展覧会のカタログを兼ねています。「メードザンたち」という石版画12点のシリーズがあって、これも幽霊のような、動物のような、植物のような…実に不思議な形態の図像に仕上がっているのです。展示されている「メードザンたち」の所蔵者が詩人の鶴岡善久さんだということを知って驚きました。いいなぁ。欲しいなぁ。ミショーは、幻覚作用を誘発させるメスカリンという薬を飲んでデッサンをしています、線が震えた絵になるみたい。かわいらしい人々がやってくる図、また壁の中に変なオジサンの顔の見える絵もありました。ユーモラスとグロテスクは背中合わせだな。それで思い出したのですが、下記の写真は、わたしの机上にいる犬君です。目つきが怪しい。以前骨董市からつれて帰ってきたのです。
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「だんな、今晩も酒のましてくれませんかね」

ちょっと前の作品

これらは、45、6年前の私の木版画。ひょっとするとゴム版かもしれません。従姉がずっと持っていて最近貸してくれました。年賀状で、官製はがきに刷られていました。1962年が寅年、63年が卯年なので、61、62年の12月に作られた可能性が高いですね。小学校一年の版画としてはとくにうまくもないですな。え?今もたいしてうまくないって?ムヒ〜ン!ごもっともごもっとも。なんまんだぶう〜^^;
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山猫郵便

俳人の山内将史さんが「山猫郵便」という、俳句とその周辺のことをかいた「郵便はがき」を送ってくれます。随分続いていて、166号に達しています。自分の俳句、他の俳人の俳句、随想、散歩日記などが葉書1枚に収められて、毎回愉しみに待っている郵便物です。166号はには、二句載っていました。「三枚に人魚を下ろし時雨けり」「涼しさや簪に付くかたつむり」。山内さんは、30年ほど前は詩も書いていて(今は童話も書いています)、現代詩の商業誌の投稿欄でよく作品を見かけました。私もそのころ「ユリイカ」を中心に「現代詩手帖」「詩学」「月刊ポエム」などに投稿していたので、その時代の投稿者(作品がよく選ばれる人たち)は今でも覚えています。山内さんもそうでしたが、そのほかに城戸朱理、井辻朱美、園子温、住友浩、榊原淳子といった方々がいました。今号の「山猫通信」では小澤實主宰の俳句雑誌「澤」7月号についてふれていて、同誌掲載の評論、高山れおなの「本質論、ではなく」が凄く良かったと書かれていました。既にいただいていた「澤」を開いて遅まきながら読みました。「つくり手は主題を獲得すること」が大切と書かれていました。当たり前のことのようですが、振り返りつつ考えると、テーマを蔑ろにしていた場合、もしくはテーマは有っているんだという錯覚でモノを創っている場合が私にはあるような気がします。気をつけなければ。「山猫郵便」166号で、山内さんは最後に、小澤實の一句を俳人協会新人賞の句集『立像』からぬいて掲げています。「秋風や濡らしてみたき壺ひとつ」。いいですね。私にはここから渓斎英泉の枕絵のけしきが見えます。
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絵と文のメモに使っている素描帖。いたずらがきで「黒壺くん」を描いた。

名護は来ない

昨晩は、後楽園ホールへプロボクシングを見に行きました。名護明彦対ブルースリー・トーセーンティエンノーイ(タイ選手)がメインイベントでしたが、名護選手が腰部のケガのためこの試合はドタキャンになりました。そーゆーお詫びの文書が入口の扉に貼られていたのだった。ふへ〜、もうその時点で観戦モチベーションがフニャ落ち〜。まぁ、4回戦、6回戦、梅津宏治選手と高山和徳選手の8回戦(結果:引き分け)は見て帰ってきましたが。腰部のケガって、朝顔洗っているときにクシャミしてギックリ腰になったとか?いろいろ言いたいことがありますがボクシングのブログでないのでそれは他箇所で書きます。(ボクシング関係者の方は連絡ください)

自分

「左右両肩に出現して自分を非難するもう二人の自分」素材:紙=1993年夏に行ったウランバートルのバヤンゴルホテルの便箋、筆、解明墨汁、色鉛筆。20070712225119.jpg
さきほどメールで「後頭部の顔はだれですか?」と質問が…(苦笑)「第三の男」です。

四冊の詩集

この一週間に、届いた詩集。大谷典子『自転車紀行』編集工房ノア・2007.7、細見和之『ホッチキス』書肆山田・2007.7、四方田犬彦『人生の乞食』書肆山田・2007.6、三木昌子『漂流腕』私家版・2007.6。どれも良い詩集で惹かれました。○大谷さんの詩集にはラドンが出てきます、一緒に暮らしているようです。自転車の前のかごにラドンは乗るので随分小さい生き物のようです。(ラドンといえば東宝の怪獣映画「空の大怪獣ラドン」を思い出します。皆さんは、この映画を観ましたか?太古の鳥ラドンが巨大化して町を破壊します、しかし最後にラドンは阿蘇山におびき寄せられ、ついに阿蘇山が爆発してラドンは焼かれてしまうのです。かわいそうなラドン。やきとり)自転車の前のかごに乗ったラドンの絵を描いてみたくなりました。○ホッチキスとの関係をいろいろな角度から描いて実に面白い細見さんの作品群。「ホッチキス病」になったてしまったようなこの一冊は大変ユニークでうらやましく感じます。詩人だったら「ホッチキス病」や「修正液病」に罹っておくべきですね。○四方田さんの詩集は第二詩集でしょうか。以前に、四方田剛己『眼の破裂』百頭社・1993.1という、四方田さんが高校生時代に創作した詩を後々まとめたという詩集をもらいました。新詩集は189ページに及ぶ大冊で、読み応え充分です。「137はぼくの宿命だ。」で始まる「137」という一篇は殊に秀作で、この数字が自分の人生にどう絡んできたかを語り、次に「死を迎える」手順についてが書かれています。スリリングです。「死とはジャンルを替えること。」という冴えた一行もあり、職場の会議中唐突にこの一行を大声で発声したい衝動に駆られました。四方田さんはオートレースや競輪をなさるかどうか知りませんが、「三連単、137のボックス」を買ってみたら運命的な大穴を当てるに違いありません。「競艇で」と書きたかったのですが残念ながら競艇は6艇しか出ないので7がないのです。スミマセン。○三木さんの詩集は、私家版です。この私家版はオリジナル版画がもつ創作の手のぬくもりを感じさせ成功しています。しかし作品は全くぬくくありません。どの詩も独特で「不気味な美学」を感じます。今日まで大手拓次にしか見えないと思われていたモノが、三木さんには見えているのかもしれません。

つるかめ

左足の中指にマメが出来て歩くと痛い、それを庇って右足に力を入れていたら右足の膝が痛くなりました。体が弱くなりすぎ〜。目も老眼でよく見えないし。こうしてやがて死んでゆくのね。つるかめつるかめ。(若い人は知らないかも知れませんが、縁起でもないことをつい言った時は、縁起のいい言葉でそれを打ち消すのです。わたしのばあさんなどは、言ってました。「鶴亀」もありなら「松竹梅」もあり、ですかね。酒場で言うと日本酒が出てきそうですね)

ペテン師

「虫くん」。だいぶ前になりますが「カットに使いたいのでちょっと派手な翅色の虫を描いて」と頼まれて作った絵。「えーっ!?こんなペテン師みたいんじゃなくて、もっとちゃんとした虫っ!!」といわれてこの「虫くん」はボツになりました。かわいそうなペテン師。で、ここで取り上げてやることにしました、せっかく着飾ったのですから。和紙に水性ボールペン、色鉛筆を使用。私の印(黒影で、よーくみると「岩」の字になっている)はわかりますか?これは、神戸で「ハンコ通信」を発行している詩人の池上博子さん作。気に入っています。
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実存主義

都バスを使って通勤しています。家の近くにあるバス停の脇の樹の根っこにこんな「3」と見える皺が盛り上がっています。その上に○もあります。Aの上に小さい○だと、オングストローム(単位)ですね。なにを表している「3」なのか。(なんにもあらわしちゃいねーって!)毎朝気になって見てしまうのですよ。サルトルの『嘔吐』(訳した慶大の先生だった白井浩司氏も一昨年だったか一昨々年だったか死んでしまいました)の主人公・ロカンタン氏は、木の根っこを見ながら自分のもよおす「吐き気」について考えるんじゃなかったかなぁ、むかしむかし読んだような、読んでもわかんなかったような…。二日酔いでしんどくて、仕事に行くのがイヤで、バス停の脇の木の根っこにゲロしたって話ならわかりやすいんですが。
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三カ月を受ける

小さな町の小さな家の
窓際の小さな机の上に
茎が絡まった植物が佇む
小柄な三カ月が飛来して
この植物の上に到着すると
机が小ぶりの干潟になり
月光のもとで貝類は踊り
踊りに合わせて三カ月は
たからかに唄い
やっほ〜やほほ〜
やかましくて眠れない
夢をみている

   *
 月下にて干潟なること明らかなり 山口誓子
   ***
「三カ月を受ける」55×65mm 技法:エッチング、ドライポイント、手彩色
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真景累ケ淵

昨日は私事でゴタゴタしていたところ、子どもの頃から世話になった伯父が亡くなりました。伯父伯母はみな高齢です。
三遊亭圓朝の『真景累ケ淵』が今年の3月に岩波文庫から改訂されて出たのですが、いま、もう2刷が本屋さんに並んでいます。売れているのかな。怪談噺の長編です。金貸で按摩の宗悦が馴染みの旗本深見新左衛門の酒乱の刃にかかって殺されることに始まる因縁噺でもあります。宗悦の娘たちと新左衛門の息子たちが因縁で出会い、次から次へ不思議で時に不気味な関係に陥っていきます。中でも三つ目の噺「豊志賀」はよく寄席でも怪談噺として語られます。SONYからCDで六代目三遊亭円生の『円生百席』が出ていて、この55から58までが『真景累ケ淵』です。発端の「宗悦殺し」が私はなかなか怖くて好きですが、あまり演られないようです。斬り殺された宗悦の死骸が油紙を敷いたつづらに入れて捨てられ、それを泥棒二人が盗んで、夜中に暗い部屋の中で手探りで荷を開けていくところが圧巻です。「かっこいい芸」で人気も大上昇中、実力者立川談春さんにこの「宗悦殺し」を「やってやって」と言っているのですが、「怪談噺をやると日常生活でへんなことが起こるからイヤダ」といってやってくれません。以前聴いた「豊志賀」は談春流の工夫をこらし絶品でした。へんなことが起きてもいいじゃん、ねえ。
談春さん→http://www1.ocn.ne.jp/~dansyun/。
岩波文庫の帯を見ると、『怪談』というタイトルで「豊志賀」を映画に仕立てたみたいです。8月4日(土)ロードショー。富本の師匠・豊志賀=黒木瞳、情夫・新吉=尾上菊之助だそうです、こわおもしろいかな?わらっちゃうだけかな。

偶景(INCIDENTS)

詩の原稿ができないときや、なんか絵を描くきっかけが欲しい時に開く本が数冊あって、その中の一つがロラン・バルト(Roland Barthes)の『偶景』(沢崎浩平・萩原芳子訳、みすず書房、2001.6新装第1刷)です。この本は「南西部の光」「偶景」「パラス座にて、今夜…」「パリの夜」から成り立っていて、「偶景」は1968-9年にかけてバルトがモロッコで見聞きした記録を集めたもの。読んでわからないようなむずかしいことが書かれているわけではありません。「ドリス・Aは精液を精液と呼ぶことを知らない。彼はそれを糞と呼ぶ。《気をつけろ、糞が出るぞ。》これほどショッキングなことはない。」とか「メディナ。午後六時頃。点々と露天商人の姿が見える通りで、一人のみすぼらしい男が、歩道の脇で、たった一本の包丁を売りつけている。」なんて書かれています。この状況を想像してメモ帳に描いてみます。あまり形にこだわらずにガシガシと、主に動きを表すように。「偶景」は短か目のテクストが*で区切られ沢山並んでいて、バルトのブログのようにも見えるのです。

文士と煙草

今宵は『文士と小説のふるさと』林忠彦著・写真(ピエ・ブックス 2007.4)をぱらぱらめくっていました。この本は、『文士の時代』(朝日文庫1988)収録の写真と著者への聞き書き、および『小説のふるさと』(中央公論社1957)収録の写真をもとに再編集した一冊。林忠彦の撮った作家の写真には有名なものが沢山あります。銀座の酒場「ルパン」で木製椅子に座った太宰治とか、散らかった部屋の中でシャツ姿で原稿を書いている途中にこちらを睨む坂口安吾とか。昭和の文壇を彩った多くの作家が被写体になっています。その中で、高見順、織田作之助、司馬遼太郎、広津和郎、五木寛之、三好徹、沢野久雄、水上勉、伊藤整、村上元三、安岡章太郎、有馬頼義、井伏鱒二、藤原審爾、開高健、山口瞳、伊藤永之介、岸田國士、椎名麟三、武田泰淳、檀一雄、安部公房、坪田譲治、上林暁、野間宏、北杜夫、松本清張、遠藤周作、中野重治、梅崎春生が煙草を吸っています。煙草は文学に効くようです。犬と一緒にいるひと=宮本百合子、近藤啓太郎。猫と一緒=壷井栄。羊とツーショット=和田伝(笑)ホントです。ピストルを構える大江健三郎。

ちょっと前の新作

「祝典ニ重唱」40×89mm 技法:エッチング、ドライポイント、手彩色。「なんかうさぎみたいな人がいますね〜」「うさぎみたいなのに人なのかなぁ?」「左下に酒飲んで赤ら顔の人がいますね」「真っ昼間なのにね」「何の歌うたってるんでしょうね」「デュエットだからなぁ、岩崎宏美の歌じゃない?」「ふるすだぎゃ!」20070704210320.jpg

ねこさん

新作銅版画「木製猫仮面」61×89mm 技法:エッチング、ドライポイント、アクアチント、手彩色木製猫仮面

湯川−松井

戸田の競艇では、湯川浩司選手が優勝、2着は松井繁選手。あーあ、大阪ドンブリ、本命サイド。これはとれない。競艇場は最寄の駅から無料バスが出ています、たとえば平和島競艇場なら大森駅から京浜急行バスが運行。私のHPの「詩集から」→「しのぎ」→「ある島」という作品を見てください。http://genkoubou.web.fc2.com/si2.html「ある島」という文字の色が変わっていますから、そこをクリック→写真が出てきます。写真に大森駅の京急バスが写っていますよ。(珍しくないけど)戸田競艇場には国際興業バスに乗って行きます。ということは、笹川良一の賭場へ小佐野賢治のバスに乗せられていくのですから、私のようなヘナチョコおやじがメットかぶってゲバ棒を持っていったところで、かなうわけがないんです。

坂田健史対ロベルト・バスケス

WBA世界フライ級王座統一戦で坂田健史が判定で勝ちました。ロッキージムのトレーナーから「席があるのでどうですか」と誘われたのですが、用事があって残念ながら有明コロシアムには行かれませんでした。ビデオにとっておいて先ほどゆっくり家で見ました。坂田は上手に戦ったと思います。中に入ってショートフック、ボディブロウが効果的。初回バスケス選手のいきなりの左ストレートをもらっていた時は危ないかなと思いましたが、すぐ修正してきたところはたいしたものです。亀田は坂田と同じ協栄ジムなので、ふつうならタイトルマッチを組むことは難しいでしょう。さぁ、どうする?「ドラマのTBS」。

プロフィール

Author:岩佐なを(詩人、版画家)
日常おもったことなどを書きます。詩や版画中心に書こうと思いますが、プロボクシング、競艇についての感想のほうが多くなるかもしれません。単に「うしのよだれ」かも。ご容赦願いたく。★ホームページもあります。ご覧下さい↓http://genkoubou.web.fc2.com/
↓下の「リンク」でクリックできます。

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